「十代目 柳家小三治」の版間の差分

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'''十代目 柳家小三治'''(じゅうだいめ やなぎやこさんじ,[[1939年]]12月17日 – [[2021年]]10月7日)は東京都新宿区出身の人間国宝の落語家である。出囃子は「二上がりかっこ」である。紋は変わり羽団扇。師匠は五代目柳家小さん。
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'''十代目 柳家小三治'''(じゅうだいめ やなぎやこさんじ,[[1939年]]12月17日 – [[2021年]]10月7日)は[[東京都]][[新宿区]]出身の[[人間国宝]]の落語家である。出囃子は「二上がりかっこ」である。紋は変わり羽団扇。師匠は[[五代目柳家小さん]]。俳優の[[郡山冬果]]は次女である。[[落語協会]]所属。
 
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==概要==
 
==概要==
[[1939年]]12月、東京都新宿区出身。1958年、[[東京都立青山高等学校]]卒業。高校の同級生に女優の若林映子がいる。1959年(昭和34年)3月、柳家小さんに入門する。前座名は「小たけ」。1963年(昭和38年)4月に二ツ目に昇進し「さん治」と改名する。
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[[1939年]]12月、東京都淀橋区(現[[新宿区]])柏木3丁目出身。5人姉弟で男はひとりだけであった。戦争中に死なせないように、[[宮城県]]の岩沼の親類に預けられた。淀橋第四小学校に入学。1958年、[[東京都立青山高等学校]]卒業。高校の同級生に女優の若林映子がいる。高校3年の頃に落語研究会に入る。高校3年の時にラジオ東京の『しろうと寄席』で15週連続で勝ち抜いた。1959年(昭和34年)3月、柳家小さんに入門する。前座名は「小たけ」。1963年(昭和38年)4月に二ツ目に昇進し「さん治」と改名する。
1969年(昭和44年)9月、真打昇進 十代目「柳家小三治」を襲名する。1979年(昭和54年)、落語協会理事に就任した。2010年(平成22年)、落語協会会長に就任した。
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1969年(昭和44年)9月、真打昇進し、十代目「柳家小三治」を襲名する。17人抜きの抜擢であった。1979年(昭和54年)、落語協会理事に就任した。2010年(平成22年)、落語協会会長に就任した。
2014年(平成26年)、会長職を退き落語協会顧問に就任。[[2021年]]10月7日20時心不全のため都内の自宅で亡くなった。故人の遺志で、近親者と直弟子ら約20人で密葬を行った。
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2014年(平成26年)、会長職を退き落語協会顧問に就任。[[2021年]]10月7日20時、[[心不全]]のため都内の自宅で亡くなった。故人の遺志により、近親者と直弟子ら約20人で密葬を行った。
2021年10月2日、東京・府中の森芸術劇場「柳家一門会」で「猫の皿」が最後の高座となった。
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2021年10月2日、東京・[[府中の森芸術劇場]]「柳家一門会」で「猫の皿」が最後の高座となった。享年81歳。
 
==語録==
 
==語録==
 
*小三治は無理やり人を笑わせようとするのは、本物の芸ではないと考えている。古今亭志ん生の言葉は「落語を面白くしようとするには、面白くしようとしないことだ。」と言われた。
 
*小三治は無理やり人を笑わせようとするのは、本物の芸ではないと考えている。古今亭志ん生の言葉は「落語を面白くしようとするには、面白くしようとしないことだ。」と言われた。
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*高座に上がるときは黒紋付きを身にまとう。一人で演じる落語は、声色や表情で人物を演じ分けるため、客に登場人物を客に想像してもらわなければならない。変わった色の着物を着ると客の想像力を邪魔すると考えている。
 
*高座に上がるときは黒紋付きを身にまとう。一人で演じる落語は、声色や表情で人物を演じ分けるため、客に登場人物を客に想像してもらわなければならない。変わった色の着物を着ると客の想像力を邪魔すると考えている。
 
==受賞歴==
 
==受賞歴==
*1976年(昭和51年)、放送演芸大賞
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*1976年(昭和51年)、[[放送演芸大賞]]
 
*1981年(昭和56年)、芸術選奨文部大臣新人賞
 
*1981年(昭和56年)、芸術選奨文部大臣新人賞
*2004年(平成16年)、芸術選奨文部科学大臣賞
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*2004年(平成16年)、[[芸術選奨]]文部科学大臣賞
*2005年(平成17年)、紫綬褒章受章
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*2005年(平成17年)、[[紫綬褒章]]受章
*2014年(平成26年)、旭日小綬章受章
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*2014年(平成26年)、[[旭日小綬章]]受章
 
*2014年(平成26年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定
 
*2014年(平成26年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定
 
*2020年(令和2年)、2019年度朝日賞
 
*2020年(令和2年)、2019年度朝日賞
 
==趣味==
 
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スキー カメラ ゴルフ 塩 ハチミツ リハビリ 音楽他
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スキー、カメラ、ゴルフ、塩、ハチミツ、リハビリ、音楽他
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*[[柳家福治]]
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*[[柳家一琴]]
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十代目 柳家小三治(じゅうだいめ やなぎやこさんじ,1939年12月17日 – 2021年10月7日)は東京都新宿区出身の人間国宝の落語家である。出囃子は「二上がりかっこ」である。紋は変わり羽団扇。師匠は五代目柳家小さん。俳優の郡山冬果は次女である。落語協会所属。

概要[編集]

1939年12月、東京都淀橋区(現新宿区)柏木3丁目出身。5人姉弟で男はひとりだけであった。戦争中に死なせないように、宮城県の岩沼の親類に預けられた。淀橋第四小学校に入学。1958年、東京都立青山高等学校卒業。高校の同級生に女優の若林映子がいる。高校3年の頃に落語研究会に入る。高校3年の時にラジオ東京の『しろうと寄席』で15週連続で勝ち抜いた。1959年(昭和34年)3月、柳家小さんに入門する。前座名は「小たけ」。1963年(昭和38年)4月に二ツ目に昇進し「さん治」と改名する。 1969年(昭和44年)9月、真打昇進し、十代目「柳家小三治」を襲名する。17人抜きの抜擢であった。1979年(昭和54年)、落語協会理事に就任した。2010年(平成22年)、落語協会会長に就任した。 2014年(平成26年)、会長職を退き落語協会顧問に就任。2021年10月7日20時、心不全のため都内の自宅で亡くなった。故人の遺志により、近親者と直弟子ら約20人で密葬を行った。 2021年10月2日、東京・府中の森芸術劇場「柳家一門会」で「猫の皿」が最後の高座となった。享年81歳。

語録[編集]

  • 小三治は無理やり人を笑わせようとするのは、本物の芸ではないと考えている。古今亭志ん生の言葉は「落語を面白くしようとするには、面白くしようとしないことだ。」と言われた。
  • 客は、落語ではなく人柄を聴きに来ていると語る。
  • 芸が大げさに、派手にならないようにする。芸から無駄をそぎ落とすように、小三治は常に自らの気持ちと戦う。
  • 小三治は20年来、重度のリウマチを患っていた。激痛を抑えるため、小三治は大量の薬を服用していた。
  • 手ぬぐいは、毎年オリジナルを作る。
  • 高座に上がるときは黒紋付きを身にまとう。一人で演じる落語は、声色や表情で人物を演じ分けるため、客に登場人物を客に想像してもらわなければならない。変わった色の着物を着ると客の想像力を邪魔すると考えている。

受賞歴[編集]

  • 1976年(昭和51年)、放送演芸大賞
  • 1981年(昭和56年)、芸術選奨文部大臣新人賞
  • 2004年(平成16年)、芸術選奨文部科学大臣賞
  • 2005年(平成17年)、紫綬褒章受章
  • 2014年(平成26年)、旭日小綬章受章
  • 2014年(平成26年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定
  • 2020年(令和2年)、2019年度朝日賞

趣味[編集]

スキー、カメラ、ゴルフ、塩、ハチミツ、リハビリ、音楽他

弟子[編集]

参考文献[編集]