高津区

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高津区(たかつく)は、川崎市を構成する7区のうちのひとつである。溝の口駅東急田園都市線)・武蔵溝ノ口駅JR東日本南武線)駅周辺を中心として東側の土地が主に再開発され、川崎市中部の中心商業地として発展している。

地理[編集]

  • 川崎市のほぼ中部に位置する。多摩川に沿った低地と、その南側および西側に広がる丘陵地帯(多摩丘陵東端部)で構成されている。
  • は暑く、は寒い。ただし東京都心部ほどの都市気候にはなっていない。
  • 住宅地域が多いが、大規模工場が比較的多く、準工業地域もある。溝口周辺には大規模商業施設も立地する。
  • 区役所JR武蔵溝ノ口駅・東急溝の口駅至近、警察署高津駅至近、郵便局梶が谷駅至近と分散しており少々不便。

町名[編集]

  • 高津地区
溝口(みぞのくち)、二子(ふたご)、瀬田(せた)、諏訪(すわ)、北見方(きたみがた)、下野毛(しものげ)、久本(ひさもと)、坂戸(さかど)、宇奈根(うなね)、久地(くじ)、下作延(しもさくのべ)、上作延(かみさくのべ)、向ヶ丘(むかいがおか)
  • 橘地区
末長(すえなが)、新作(しんさく)、梶ケ谷(かじがや)、千年新町(ちとせしんちょう)、千年(ちとせ)、子母口(しぼくち)、子母口富士見台(しぼくちふじみだい)、明津(あくつ)、蟹ケ谷(かにがや)、久末(ひさすえ)、野川(のがわ)

沿革[編集]

川崎市の歴史 も参照

近世以前[編集]

  • 「高津」の由来には諸説がある。大阪市の「浪速高津宮」付近の景観に似ているという説がある一方、高津中学校では「鷹津」を由来としており、確実な説はまだ存在しない。
  • 丘陵部への人間の定住は早く、区南東部の子母口貝塚は縄文時代前期と推定されている。
  • 新作の台地上(現新作小学校)からは新作小高台遺跡が発見され、弥生時代から古墳時代の遺物が多数発掘されている。
  • 大和朝廷の支配が関東に及ぶと、律令制のもとで現在の高津区一帯は橘樹郡に属し、高津区千年付近に郡衙が置かれ、この地域の行政の中心になったと推定されている。
  • 平安時代以降は荘園が発達し、周囲の寺社や有力豪族の支配地となる。
  • 江戸時代からは東海道脇街道として大山街道(矢倉沢往還)が整備され、二子の渡しや二子・溝口宿は江戸から大山阿夫利神社(現伊勢原市)へ向かう参拝者で賑わった。

近代[編集]

  • 1889年(明治22年) 8村が合併して橘樹郡高津村が成立。(溝口村二子村久地村、下作延村、久本村、諏訪河原村、北見方村、坂戸村)
    また、7村が合併して同郡橘村が成立し(千歳村、新作村、子母口村、末長村、久末村、明津村、蟹ヶ谷村)、現在の高津区の南西部(橘地区)に。
    この他、野川村が宮前村に、上作延村が向丘村にそれぞれ編入され、現在はその一部が高津区になっている。
  • 1912年(明治45年) 東京府との境界が整理され、多摩川以南の地域(宇奈根瀬田の各一部および下野毛のほぼ全域)が編入される一方、以北の地域(久地、二子、諏訪河原の各一部)が離脱する。
  • 1925年(大正14年) 東京府荏原郡玉川村(現世田谷区)と高津村の間に二子橋が架かり、二子の渡しが廃止される。
  • 1927年(昭和2年) 南武鉄道南武線(現JR南武線川崎駅登戸駅間が開業し、高津村が川崎市と鉄道で連絡される。以後、工場進出が本格化する。
  • 1927年(昭和2年) 玉川電気鉄道溝ノ口線(現東急田園都市線)が二子玉川園駅から溝ノ口駅まで延伸される。軌道線で、多摩川は二子橋を道路と共用して渡る。
  • 1928年(昭和3年) 高津村が町制を施行する。
  • 1937年(昭和12年) 4月1日に高津町、6月1日に橘村が相次いで川崎市に編入される。
  • 1938年(昭和13年) 現在の高津区域の全域が川崎市に編入される。

現代[編集]

  • 1953年(昭和28年) 東急電鉄の五島慶太会長が城西南地区開発構想を発表。
  • 1962年(昭和37年) 多摩田園都市の最初の区画整理事業が野川第一地区で完成。以後、南部丘陵地帯では東急グループ主導の住宅開発が進行する。
  • 1965年(昭和40年) 第三京浜が開通する。
  • 1966年(昭和41年) 東急田園都市線溝の口駅-長津田駅間が開業。同時に二子橋の軌道・道路併用利用が終了し、道路専用橋になる。
  • 1972年(昭和47年) 川崎市の政令指定都市移行に伴い、高津区(現宮前区の区域を含む)が発足する。
  • 1977年(昭和52年) 東急新玉川線(現東急田園都市線の一部)の開通により、渋谷と直結される。 以後、地下鉄半蔵門線の延長に伴い都心部へのアクセスが向上する。
  • 1979年(昭和54年) 政令指定都市移行を記念した川崎市民プラザが開館する。
  • 1982年(昭和57年) 区の南西部地域が宮前区へと分区される。
  • 1989年(平成元年) かながわサイエンスパークが開業する。他に4月11日とある竹やぶ1億円の札束が発見される(竹やぶ騒動)。
  • 1997年(平成9年) 溝口駅北口再開発ビルが開業し、市民館が新装される。この他、高津区役所などの各種公共施設も移転している。

産業[編集]

  • 機械・食品工業の工場が多く、下野毛地区(および隣接する中原区宮内地区)には中小規模の町工場が集まっている。また、NECプラットフォームズクノール食品等の大規模な工場や、キヤノンあすか製薬富士通ゼネラルの研究開発拠点が区内各所に点在する。世界的な精密測定機器メーカーであるミツトヨは本社を区内北東部の坂戸に置き、一般公開も行う博物館も開設している。
  • 先端技術研究の拠点および創業支援機能を担うかながわサイエンスパーク(KSP)が設置されている。
  • 地理的に市内のほぼ中央に位置し、また国道246号大山街道)、国道409号県道9号府中街道)といった主要道が通り、高津区に隣接する宮前区の野川にはJR武蔵野線梶ヶ谷貨物ターミナル駅もあるため、市内や全国各地を対処とした物流拠点として優れた立地性を持ち、日本通運トナミ運輸などが市内各地着発宅配便の物流拠点を設けている。また佐川急便世田谷区内着発宅配便の物流拠点を置く。なお日本通運の拠点については、かつて武蔵溝ノ口駅で貨物を扱っていた経緯からか「武蔵溝ノ口支店」と呼ばれていた(現在は拠点再編により「川崎支店溝ノ口ペリカンセンター」と称する)。
  • 関東および北海道を中心に書店を展開する文教堂の発祥の地であり、溝口に本社を構えている。
  • 江戸時代にはニカ領用水を利用した水田開拓が行われ、明治時代以降に東京の都市化が進むと多摩川などの近郊農業も拡大して、梨は多摩川の水運や南武鉄道により輸送されていたが、東京都市圏の拡大や地価の高騰によって最近は衰退傾向にある。梨園の多くは住宅地に転用されたが、一部は観光農園として存続している。
  • 商業地域は矢倉沢往還(大山街道)の宿場町だった二子(二子新地駅・高津駅周辺)と溝口(武蔵溝ノ口駅・溝の口駅周辺)に江戸時代からの旧家を含む商店街が形成されている。特に溝口では東口の駅前再開発ビルNOCTY2棟が建設され、同ビルテナントの丸井(丸井ファミリー溝口)などは高津区外にも商圏を拡げている。一方、国道246号沿いなどにはロードサイド店舗が点在し、特に家電などでは駅前商店街内の店舗と競合している。人口の急増に伴い、地域住民に対して日用生活品を販売するコンビニエンスストアや食品スーパーマーケットなどの中小店舗は区内全域に点在している。

教育[編集]

大学・短期大学[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

  • 川崎市立坂戸小学校
  • 川崎市立高津小学校
  • 川崎市立東高津小学校
  • 川崎市立久本小学校
  • 川崎市立上作延小学校
  • 川崎市立下作延小学校

  • 川崎市立南原小学校
  • 川崎市立久地小学校
  • 川崎市立子母口小学校
  • 川崎市立橘小学校
  • 川崎市立末長小学校
  • 川崎市立新作小学校

※宮前区分区の経緯から、宮前区内の小学校・中学校に通学する地域がある。

特別支援学校[編集]
  • 川崎市立養護学校

外国人学校[編集]

隣接している自治体・行政区[編集]

神奈川県
東京都

交通[編集]

鉄道[編集]

中心となる駅:溝の口駅武蔵溝ノ口駅

バス[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

名所・旧跡[編集]

  • 二ヶ領用水
  • 大山街道(矢倉沢往還、足柄道)
    • 大山街道ふるさと館
      高津町役場跡に建てられ、かつて大山街道が辿った経路等を紹介する常設展示、および展示室や会議室などの貸出を行っている。
  • 橘樹神社
  • 西福寺古墳(梶ヶ谷第三公園)
  • 子母口貝塚
  • 岡本かの子文学碑「誇り」、光明寺
  • 久地梅林、津田山(七面山)
  • 緑ヶ丘霊園
  • 川崎市民プラザ
    併設されている庭園にはかつての森が残され、開発が入る前の丘陵の風景を今に伝えている。
  • 高津区市民健康の森(たちばなふれあいの森)
    市が土地を保全し、地域住民が維持管理を担っている。森の手入れに加え、木工教室やの保全活動などが進められている。
  • たちばなの散歩道
  • 久本山
    武蔵溝ノ口駅の南西に見える急斜面のある久本地区の丘は「久本山」と呼ばれる。駅前立地でもあり現在は大きなマンション等が乱立する一方、小さいながらも畑や梅林、竹林等が残っており、オナガジョウビタキなど野鳥の住み処にもなっている。この地域では「江戸見桜」の保全や坂への命名といった地域おこしに加え、里山的環境を残す活動もされている。
  • 笹の原の子育て地蔵
    念願叶って子供を授かった夫婦がそのお礼と子の健やかな成長を願って建てたと言われる地蔵尊で、近隣でをつくる末長・下作延の住民によって現在も護られている。「都筑橘樹酉年地蔵」の第18番札所になっており、毎年になると開帳され、巡礼者が訪れる。

観光[編集]

レジャー

  • 多摩川河川敷での川遊び、各種スポーツ
  • 高津スポーツセンター

祭り

  • 川崎市制記念多摩川花火大会
  • 高津区民祭

写真[編集]

溝口二子久地久地円筒分水宇奈根緑ヶ丘霊園 の写真は各記事を参照。 テンプレート:Gallery

高津区出身の有名人[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]