飯田圭織

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
飯田 圭織
飯田 圭織

飯田 圭織(いいだ かおり、1981年昭和56年)8月8日 - )は、日本歌手タレントである。

2007年にファンとのバスツアー前日に中出し婚を発表。その翌日に決行されたツアーは「地獄のバスツアー」と話題になった。

概要[編集]

北海道室蘭市生まれ、札幌市手稲区育ち。アップフロントプロモーション(旧・アップフロントエージェンシー)所属。ハロー!プロジェクトの元メンバーで、モーニング娘。の元メンバー、2代目リーダーであった。北海道札幌稲西高等学校(北海道立)中退・東京都立代々木高等学校定時制中退。代々木高校の同級生にSPEED上原多香子がいる。夫は元7HOUSEのケンジ。

略歴[編集]

飯田 圭織
飯田 圭織
1981年
  • 8月8日、モーニング娘。の同期メンバー安倍なつみと2日違い(飯田の方が早い)で北海道室蘭市の同じ産院で生まれた。同じ新生児室にいたという。
1997年
  • テレビ東京系「ASAYAN」(現在は終了)内の「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終候補に選ばれるが落選。デビュー前には地元札幌で乾電池のパッケージのモデルを務めたことがある(この頃、笑っていいともにも出演している)。また、ASAYANの同時期に行われた小室ギャルソンオーディションの最終候補まで残った。なお、このオーディションの自己アピールで「小室さんの彼女にして下さい」と発言している。

同じく最終候補に選ばれた中澤裕子石黒彩安倍なつみ福田明日香と共に、課題曲「愛の種」を5日間で5万枚完売すればメジャーデビューできるという条件のもと、「モーニング娘。」を結成。11月30日、課題曲を完売(於:ナゴヤ球場)。なお、途中、地元・札幌での手売りの際、コンタクトレンズで目に傷が入り、途中で目が見えなくなるというハプニングがあった。

1998年
  • 1月28日、「モーニングコーヒー」でモーニング娘。としてメジャーデビューを果たす。当初の選考ではメインボーカルだったが、学校の試験でレコーディング2日目に参加できず、最終的にハモリを務めた(代わってメインになったのは安倍なつみ)。結成当時のモーニング娘。のリーダーに立候補するが、スタッフの判断により最年長の中澤になる。
  • 10月、石黒彩、矢口真里と共に、グループ内ユニット、タンポポを結成。
  • 12月31日、モーニング娘。として第40回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得、『第49回NHK紅白歌合戦』に初出場。
2000年
  • 4月、 4期メンバー辻希美の「教育係」になる。
2001年
  • 1月、今まで黒髪ロングヘアーだったが、茶色に染髪した。
  • 4月15日、中澤裕子のモーニング娘。卒業に伴い第2代モーニング娘。リーダーに就任。
2002年
  • 画文集『心のスケッチブック』を出版。また、『ライオンのマルジャン』(鎌田慧・作)で挿絵を担当。
  • 初のソロ写真集『飯田圭織写真集 かおりKaori圭織。』を発売。
  • 9月、「タンポポ」から卒業。
  • 飯田の絵画展『モーニング娘。〜アート&カラー〜2002』が行われる。
2003年
2004年
  • 5月23日、 石川梨華と共にモーニング娘。からの卒業を発表。
  • ソロデビューシングル「エーゲ海に抱かれて」を発表。それに合わせて、握手会を実施。その後、2枚目のソロシングル「ドアの向こうでBellが鳴ってた」、3rdアルバム『アヴニール〜未来〜』を発表。
2005年
  • 1月30日、『Hello! Project 2005 Winter オールスターズ大乱舞 〜A HAPPY NEW POWER! 飯田圭織 卒業スペシャル〜』の横浜アリーナでのライブを最後にモーニング娘。を卒業。これで、モーニング娘。の第1期メンバーは全て「卒業」となった。そして現役時代続けていたロングヘアーを切り落とし、ショートカットに。
  • 3月、ファーストソロライブ『アヴニール〜未来〜』
  • 4月、「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」プロモーションキャラクター(ソロ転向後初めてのテレビCM)同4月からFMラジオNACK5において「飯田圭織・地中海Sound Stroll」のDJを担当。
  • 12月21日、4thアルバム『プラン・ダムール 〜愛がいっぱい〜』を発表。
  • 12月31日、大晦日の『第56回NHK紅白歌合戦』で、当時のモーニング娘。の現メンバー・旧メンバーと共に、「LOVEマシーン」を熱唱。
2006年
  • 4月 - 6月、安倍なつみのコンサートツアーにレギュラーゲストとして参加。
  • 8月27日、第34回フジサンケイクラシックプロアマトーナメントに近藤智弘プロのチームで出場。安倍なつみも応援として同行した(ちなみに安倍は当初“プレーせず”となっていたが実際は数回打たせてもらっていた)。
  • 単独でのディナーショー、ソロライブ定期的に行い、ハロープロジェクト内ではコンサートや舞台での活動を中心に行った。FMラジオのDJも継続中。
2007年
2008年
  • 2月3日、1月22日に男児を出産したことを発表。
  • 11月29日、7月27日に長男慢性腎不全のため死亡したことを発表。「ファンのたたり」と言われる。
2009年
2011年
2012年
  • 12月25日、第2子を妊娠し2013年春に出産予定である事を公式ブログで発表。
2013年
  • 5月14日、前日に第2子(男児)を出産したことを発表。

伝説のバスツアー[編集]

飯田圭織伝説のバスツアー

2007年、バスツアー前日に結婚&妊娠(いわゆる中出し婚)を発表し、翌日予定通りファン達とバスツアーを決行した。

762 名前:名無し募集中。。。投稿日:2007/07/07(土) 10:55:58.49 0 
夜短冊を飾ってたら 
ガイドが「七夕は一年に一度織姫様と彦星が会える日なんです」 
とかいってさ、ファンの皆さんも飯田さんに会えて良かったですね、なんて言うんだよ 

そしたら誰かが急にちいさいこえで「彦星様見つかってよかったねカオリン」なんて言って 
みんながざわざわしてから口々におめでとうを言い始めた 
俺はそんなこと言えるわけないから下向いて唾飲んでたんだ 

どんなバカヤロウがそんな偽善ぬかしてるのかと隣みたらさ 
おめでとうとかいってるオッサンがみんな泣いてた 
俺も泣いた 
  • メインはバーベキュー用のソーセージと肉(肉は一人一枚。ソーセージは1人一本。)
  • 8人テーブルに1.5リットルの烏龍茶一本(キッコーマン製)
  • デザートはバナナ切り落とし(約7名のデーブルに付き3本分のバナナ切り落としが皿に盛られて用意された)。
  • お楽しみ企画は寂びれた遊園地に在りそうなジャンボ迷路。食後に行われた。
  • 時間が推していた為に、約半数のヲタをジャンボ迷路に放置したまま迷路出口で次のイベント開始。
  • 飯田とヲタで笹の葉サラサラを合唱
  • ヲタ、飯田のトーク中に号泣(原因は不明)
  • ビールは別売(一杯500円)
  • 最後にバスが飯田の周りをぐるっと一周回って帰路につく
  • バナナを一人二本食べたヲタがスタッフに人として失格とか言われて叱られた
737 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2007/07/07(土) 22:07:12.52 O 
解散して帰宅の電車に一人で乗った途端に嗚咽してしまった 
他の乗客の視線を意識してみっともないとは思ったが涙も泣き声も止まらない 
席から立ち上がる気力もなく家の最寄り駅を大分過ぎてから漸く下車した 
今だに家に帰る気持ちにはなれずホームのベンチにへたり込んでいる 
こんな惨めで虚しくて情けない気持ちになったのは生まれて初めてだ 
電車が入線してくる度いっそホームに飛び込もうかとも思ってしまう 
帰りのバスの車内では十年間応援し続けてきた人間に対して 
最後にこの仕打ちは酷過ぎるとも憤ってもいたが今はどうでも良い 
本当にもう何もかもどうでも良い 

人物[編集]

愛称-かおりんかおたん(主に石川梨華が使用)、本人が自分を呼ぶ場合は「かおり」もしくは「かお」。その他ジョンソンなどのあだ名がある。つんく♂は著書『LOVE論』において「怒った顔がかわいい女」と評している。見た目の体格相応に腕力もある。デビュー当時から長い髪がトレードマークであったが、モーニング娘。卒業を機にショートカットにした。現在はロングヘアーに戻っている。

趣味は絵を描くこと。イラストの才能があり、絵本を出版したり、個展を開いている。また、空想が好きで、そのためボーッとしてることが多々あり、メンバーから“宇宙と交信している”と言われている。スポーツが得意で、特に足の速さに自信がある(本人いわく「縄跳びの成績は5」)。2001年3月に行われたハロプロ大運動会(ハロー!プロジェクトとしては初めてのスポーツイベント)ではMVPを受賞している。オフの日は料理もするという。またコントに対しても積極的でハロー!モーニングの中ではアターレ飯田のような役から工藤静香似の医者などさまざまな役を演じた。

メンバー内からよく「スタイルがいい」と言われている。つんく♂は「石川が来るまではダントツでスタイルが良かった。」と評している。また石橋貴明が「ピンクのピチっとしたズボンみたいなのを履いてて、『うわ、足長えなあ』って思った」と言っていた。中澤は飯田のスタイルについて「宇宙人みたいな長さ」とギャグ交じりに話した。

松浦亜弥の愛称「あやや」の名づけ親。演歌歌手前田有紀をハロプロに引き込んだ(詳細は前田の項目参照)。

2000年から始まったシャッフルユニットで毎年参加しているのは(2004年も含めて)彼女ただ1人。在籍期間は高橋愛新垣里沙に抜かれるまでは最長だった(現在は道重さゆみが最長であり、この他、田中れいな亀井絵里も飯田より在籍期間が長くなった)。

『抱いてHOLD ON ME!』と飯田圭織[編集]

モーニング娘。のシングル、『抱いてHOLD ON ME!』の中で飯田のパートに「ねぇ、笑って」というセリフがある。この曲は元々モーニング娘。の曲で初めてセリフが入った曲として話題性があったが、1999年2月16日放送の『うたばん』で司会の石橋貴明から「ねぇ笑ってと言ってる顔が怒っている」と指摘され、石橋貴明から度々ネタにされた(例:福田脱退時に中居、「笑って見送ってやりたいな…」石橋「ねぇ笑って!」のように)。結果的にこのことが飯田とモーニング娘。の人気に火をつけた。(この曲はモーニング娘。が初めてオリコン1位を獲得した曲である。)その後うたばんでの石橋との掛け合い役はほとんどが飯田が担当するようになった(その後、保田に交代)。ちなみにつんく♂は飯田のこの扱いに対して「元々センター候補だったが、これはこれでよかったのかもしれない。飯田はこの方向性でも間違ってなかった」と肯定している。

愛称の由来[編集]

「ジョンソン」[編集]

歌番組『うたばん』(TBS系)にて司会の石橋貴明がデタラメにつけた呼び名に由来する。1999年2月16日放送で、当時のグループのリーダー、中澤裕子から「貴さんはモーニング娘。のことがわかってる」と言われ、メンバー一人一人を、「中澤だろ、(石黒彩に)広田、(安倍に)山田、(市井紗耶香に)柴田、(矢口真里に)張本、(保田圭に)高田、(福田明日香に)、(飯田に)ジョンソン」とデタラメに列挙した(柴田以降は1976年当時の読売ジャイアンツの上位打線を列挙している)。それが大いに受けて、その後『うたばん』で飯田は「ジョンソン」と呼ばれるようになった。以後、飯田は「ジョンソン」の愛称で親しまれる。2003年の第54回NHK紅白歌合戦でも、石橋と共に『うたばん』の司会をしている中居正広から、飯田はジョンソンと呼ばれた。なお、中居正広は「ジョンソン」を間違って「ジェイソン」と呼んだことがある。

「かおりん」[編集]

1998年9月10日のオールナイトニッポンで、「飯田圭織だけど、“飯田かおりん”て呼ばれたい。ホントはりんごが好きだから飯田かおりんごって言いたいんだけど、でも長いじゃん。だからぁ、かおりんと言われたい」と言った。石川梨華、中澤裕子らからは「かおたん」とも呼ばれる。

音楽[編集]

地中海レーベル (zetima) からリリースされている。

シングル[編集]

  1. エーゲ海に抱かれて (2004年2月4日 EPCE-2021)
    • カップリング: 最後の接吻
  2. ドアの向こうでBellが鳴ってた (2004年7月28日 EPCE-2025)
    • カップリング: 泣かずにいられない私です

アルバム[編集]

  1. オサヴリオ〜愛は待ってくれない〜 (2003年4月23日 EPCE-2015)
  2. パラディノメ〜恋に身をゆだねて〜 (2003年10月22日 EPCE-2019)
  3. アヴニール〜未来〜(2004年12月29日 EPCE-2030)
  4. プラン・ダムール〜愛がいっぱい〜 (2005年12月21日 EPCE-2031)

DVD[編集]

  1. エーゲ海 相田翔子&飯田圭織DVD (2004年2月4日 EPBE-2001)

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

テレビバラエティ[編集]

辻希美(スペシャリスト)と共演。安倍なつみにメインボーカルを取られ、いやがらせをしていたことを謝罪した。
また飯田が辻の教育係であった頃、辻が先輩の飯田に対して失礼な態度をとっていたことを暴露し辻をその場で怒った。(現在は和解した模様)
モーニング娘。OG中澤裕子保田圭と共に旅をした。

波乱爆笑(2014年4月27日。日本テレビ)中澤裕子と辻希美と共演 2014年10月28日のエブリ及び翌日のワイドショー PON(2014年10月29日。2015年2月12日。VTR。日本テレビ) バイキング(2015年1月22日。VTR。フジテレビ)チャーミーと共演 ビビッド。(2015年11月23日。TBS. )

ラジオ[編集]

映画[編集]

  • 五重塔(2007年)
  • 恋する弁当男子(2011年) - 中村友貴子役

インターネット[編集]

  • 第7回・第19回ハロプロビデオチャット(2005年4月30日・7月21日、ハロー!プロジェクト on フレッツ)

CM[編集]

舞台[編集]

  • トリマカシproduce「下北箱庭HERATs」(2011年8月31日-9月11日、シアター711)

PV[編集]

サザン。天国ビーチ。(2014年9月10日)8月22日のワイドショーで放送された

出版物[編集]

エッセイ[編集]

  • パラノイアダイアリー(雑誌「CDでーた」(角川書店、1999年5月号から2001年6月)に掲載)

写真集[編集]

社会活動[編集]

  • 肢体不自由児協会募金用葉書(2004年)

所属ユニット[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
空席
タンポポリーダー
2000年 - 2002年9月23日
次代:
石川梨華
先代:
中澤裕子
モーニング娘。リーダー
2001年4月15日 - 2005年1月30日
次代:
矢口真里

テンプレート:アップフロントグループ テンプレート:モーニング娘。 テンプレート:M-line club テンプレート:ハロー!プロジェクト テンプレート:タンポポ (ハロー!プロジェクト)